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明治28年から明治31年 日清戦争詳報記ともいうべきもの 基本文章のみ もともと何冊かは不明ですが9冊とも非売品 9冊で厚さ約8cm 明治期の非売品ですので部数は少なそうです。資料用にもいかがでしょうか。
巻一:宣戦之詔勅発布
巻二:豊島の海戦
巻三:成歓の戦い
巻四:平壌の戦
巻五:黄海の海戦
巻六:虎山の戦
巻七:花園河口の上陸
巻八:金州の再戦(復州)
巻九:太平山の戦
1894年7月 25日に日清両国艦隊が朝鮮の泰安半島の西方の海域で戦った海戦。日清戦争における最初の海戦で,日本艦隊は巡洋艦3隻,清国側は巡洋艦2隻,砲艦1隻。日本側はほとんど損害はなく,清国艦隊は巡洋艦1隻が陸岸に乗上げて爆発,砲艦は降伏し,巡洋艦1隻だけがかろうじて脱出した。このとき清国兵を朝鮮に輸送中のイギリス国籍商船,高陞号は清国兵が抵抗して『浪速』の命に従わなかったため,『浪速』艦長東郷平八郎大佐は,これを撃沈,日英間の国際問題となった。
成歓の戦い(せいかんのたたかい、ソンファン-)は、日清戦争の最初の主要な陸戦である。成歓・牙山の戦いとも呼ばれる。
1894年6月8日に、葉志超総督、聶士成山西太原鎮総兵に率いられた清国軍(北洋陸軍、歩兵約2,500名、山砲8門)が牙山に上陸した。7月24日時点で3880名に達する[2]。7月25日に朝鮮政府から大鳥圭介公使に対して、牙山の清国軍撃退が要請され、7月26日に混成第9旅団(旅団長大島義昌少将)にその旨が伝達される。
7月28日に日本軍は牙城に篭る清国兵を攻撃するため出発。7月29日午前3時20分、佳龍里おいて清国兵の攻撃により歩兵第21連隊第12中隊長・松崎直臣歩兵大尉が戦死し(日本側初の戦死者)、他数名が死傷した(安城の渡しの戦い)。午前8時30分に日本混成第9旅団は成歓の敵陣地を制圧する。
大島旅団長は清国軍の主力が牙山にあるとし、7月29日午前に全旅団に牙山へ向け出発を命じた。午後3時頃、牙山に到達したが、清国軍は敗走していた。
この作戦の日本側の死傷者は88名なのに対して、清国兵は500名以上の死傷者を出し、武器等を放棄して平壌まで逃亡する。
なお、安城の渡しの戦いで歩兵第21連隊の木口小平二等卒は死んでもラッパを離さずに吹き続けたという逸話が残る。
黄海海戦(こうかいかいせん)は、1894年(明治27年)9月17日に日本海軍連合艦隊と清国海軍北洋艦隊の間で戦われた海戦。近代的な鉄甲蒸気船同士で行われた世界史上初の大規模な海戦だった。この海戦の結果、清国海軍は大幅に戦力を低下させ黄海と渤海の制海権を失う事になった。
ゆうパックでの発送となります。
中古品ですので傷・黄ばみ・破れ・折れ等経年の汚れはあります。表紙傷、小汚れ、小破れ。ページ黄ばみ、しみ、折れ線。6巻に44ページ程度破れ(穴)あり。6巻は穴あきのため読めない箇所あります。9巻巻末に破れあり。その他2-3冊ぱらぱらとめくった感じでは、書込み・線引き等見当たりませんが、見落としあればご容赦ください。376573
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